Articles Archive for 9月 2010
美術館周辺の素敵なお店, 関東 »

歴史ある学士会館で食す、独創的な本格中華。
この立地、この実力で、リーズナブルな価格も嬉しい!
扉を開けると、天井高の広々とした店内。
大きな窓からはこもれ陽が差し込み、まるで異国のクラシックホテルに来たかのよう。
時間も国籍も超越したロマンティックな空間が広がります。
旧帝国大学(現在は国立7大学)の学士会会員の交流の場として建設され、
関東大震災で焼失した会館を、昭和3年に東京大学発祥の地に再建したのが現在の学士会館です。
設計したのは日本橋高島屋や帝国ホテルの設計者としても有名な建築家・高橋貞太郎氏。
平成15年には国の登録有形文化財にも指定されています。
二・二六事件や太平洋戦争の激動の時代をくぐり抜け、
戦後はGHQの将校クラブとしても使用されていたという超歴史的建造物。
その中にこんなにおしゃれなレストランがあるなんて!
しかも味は本格派。時田太料理長の作る料理は、
広東料理の王道を守りながらオリジナリティにあふれた本格中華です。
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美術館周辺の素敵なお店, 関西 »

中之島公園のニューフェイス
東洋陶磁美術館が立つ中之島公園は、
界隈のシンボル・中央公会堂や中之島図書館がレトロな佇まいを残す憩いのスポット。
昨年からスタートした水の都・大阪の再生プロジェクトを機に、
ローズガーデンやリバーウォークが新たに整備され、
木々の緑と水辺の風景が心地よい親水空間に生まれ変わりました。
この公園のリニューアルとともに、今年6月にオープンしたカフェ&レストランが『GARB weeks』。
美術館のちょうど道向かい、ゆったりとしたウッドデッキのテラスと、
テントのような白い三角屋根が目を引きます。
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展覧会レビュー, 桑原俊介, 関東 »
ニューマンは言う。「わたしが試みているのは、わたしの作品の前に立つ者が、そこに自分が存在しているということを知ることなのです。(…)全き存在である自分、他者から切り離され孤立した自分、他者とは違う自分を感じて欲しいのです」。ニューマンは、自分の絵画の前に立つ者が、そこに自分の存在を強く感じとる感覚を「場所の感覚(the sense of place)」と呼んだ。絵画が切り開く、人間に存在を与える「場所」。人は、絵画の前でこそ「存在」する。だがニューマンの絵画と対峙するものは、その圧倒的な威圧感に、その空間から閉め出されたような排他的な感覚すら覚えることがある。絵画は、鑑賞者の存在など意に介することなく超然とたたずんでいるように見える。《アブラハム》《原初の光》《契約》《光》《名》《ここ》——。極めて難解で、ユダヤ的な磁場によって強力に支配されたタイトルの数々。そして、一色に塗り込められた単調なカンヴァスと、その上に引かれた数本の垂直線(ジップ)。このような、局限にまで切り詰められたストイックなカンヴァスを前にして、人は、ニューマンの言う「場所の感覚」をどこまで引き受けることができるのか。
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小平信行, 展覧会レビュー, 関東 »

昔からテレビや映画の時代劇などを見ていて気になることがあった。それは今のような照明がない時代、ろうそくやランプなどが照らす部屋があまりにも明るすぎることである。部屋の片隅でランプやろうそくがともりその明るさで見渡したとき、あんなに部屋が明るくなることなどありえない。カメラに写るようにするには仕方のないことかもしれないが、いつも違和感を覚える。かつて山小屋でランプの明るさを体験したことがある。かなり大型のランプであったが、そのあまりの暗さに驚いた。ランプがともる部屋で相手の顔の表情がほとんどわからない。そのかわりに印象的だったのが背後に浮かび上がる黒々とした影だった。ランプの炎が風で揺れると、影もまた大きく揺らいだ。相手の顔の表情はよく見ない。判断材料は話し声や笑いため息などちょっとした仕草である。そして時には背後の影が物を言うときもある。残念な気持ちやうれしい気持ちがその影の形と動きでなんとなく伝わってくることもある。外では風が木々の枝を揺らす音や雨の音、そして山小屋のどこかに住む何か小動物の動く気配なども伝わってくる。闇に包まれていると、電気の照明で部屋のすみからすみまで明るく照らし出されているときと違い五感が鋭くなるような気がした。人が想像力を最大限に発揮できるのは、もしかしたらこの闇と影があるからなのかもしれない。
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きよさわみちこ, 展覧会レビュー, 関西 »

私たちは普段の生活の中で、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感によって対象を認識している。そして、その中で最も大きな割合を占めているのが視覚であることは、五感のうちどれかひとつが失われたときの不自由さ/怖さを想像しても明らかだろう。対象に近接する必要のある触覚や嗅覚、味覚、あるいは対象認識の手がかりとしては部分的で不安定な聴覚などに比べて、一定の距離を保ちながら、すなわち自身の安全を確保しながら最も効率よく即座に対象を把握できる視覚は、周囲の世界を客体化し、自身の主体性・自律性を高めようとしてきた人間の長い歴史の中で特権化されてきたという見方もある。
美術もまた、「見えること/見ること」を前提とする「視覚芸術」として続いてきた。サウンドアートやパフォーマンスなどメディアが多様化する現代においても、やはり私たちの誰もが何よりもまず「見えること/見ること」を無意識のうちに期待してしまう。私たちは事実として、驚くほど視覚情報に信頼を置き、そして頼っているのだ。
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展覧会レビュー, 浅井佑太, 関西 »

18世紀後半の江戸時代、それはまさに民衆文化が爛熟した時代だった。徳川幕府の平穏な社会の中、美術生産の主体は公家や武家から都市の町人へと移り、やがて民間の絵画が美術を主導することになる。さらには西洋文物への規制が徐々に和らぎ、限定的ではあるもののヨーロッパ絵画の手法を取り入れることができたことも、新しい展開の支えとなった。この時代における、池大雅、与謝蕪村らによる南画、円山応挙による写生画、伊藤若冲、曽我蕭白といった「奇想派」の画家たちの活躍は、よく知られたところだろう。彼らの多くは農家や町人の出身であったし、また彼らを支持したのも幕府ではなく庶民の側だった。それは当時の都市社会が、自らの生活の場で美術を育て、それを受け入れる基盤を持つほどに成熟していた証でもある。そして画家たちは、それまで支配的だった狩野派のしきたりから離れ、思うままに自らの画風を開拓していったのである。
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もっと知りたい!展覧会, 内覧会レポート »

大阪・中之島の国立国際美術館で開催中の『マン・レイ展 知られざる創作の秘密』。
東京の国立新美術館からの巡回展です。
展覧会の入口には大きく引き延ばされたマン・レイのセルフポートレイトが。
マン・レイは1890年生まれなのでこのとき34歳ですね。 (続きを読む…)