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Articles in the 吉田卓爾 Category

吉田卓爾, 展覧会レビュー, 関西 »

[2010 年 5 月 28 日 | No Comment | 3,241 views]

地下鉄の「淀屋橋駅」から地上に上がり、御堂筋を北に向かって進むと(すなわち駅名になっている淀屋橋を渡ると)右手に大阪市役所がある。市役所と土佐堀川の間の遊歩道を進むと左手に中之島図書館が見えてくる。さらに進んで図書館の裏手に隣接する中央公会堂を過ぎたところにあるのが大阪市立東洋陶磁美術館である。東洋陶磁美術館へは最寄の「なにわ橋駅」ではなく「淀屋橋駅」から行くことをオススメする、というのは野暮な話であろうか。もちろん中之島線が開通したことは非常に喜ばしいことであるし、便利になるのは良いことである。しかし、「淀屋橋駅」から東洋陶磁美術館に向かうことで、中之島という場所の景色や雰囲気、そして地理的ではなく感覚的な意味での東洋陶磁美術館の立ち位置が理解されるのではなかろうか。現在、美術における中之島の顔と言えば国立国際美術館になっているが、中之島図書館や中央公会堂、現在建て替え事業が進められてダイビルやフェスティバルホールとまではいかないまでも、東洋陶磁美術館は30年近くに渡って中之島の風景を見守り続けてきた。中央公会堂と東洋陶磁美術館の間には交通量が少ないためか送電の中止された信号機が存在意義を失ってポツリとたたずみ、東洋陶磁美術館も一見したところでは開館しているのか分からない、入口前の「開館中」という看板の存在によって開館していることが辛うじてわかる、そんな風に日曜日の東洋陶磁美術館周辺は心の安らぐ雰囲気に包まれている。
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[2010 年 4 月 28 日 | No Comment | 4,018 views]
確かめに行こう。―意味と無意味の意味、必要と不必要の必要―《柴田是真の漆×絵 レビュー》

まず浅はかなことを言わせてもらう。
世の中には意味のあることと、意味のないこととがある。あまり詳しいことは分からないが、何かと話題に上る無駄を減らすための『事業仕分け』なるものも、言い換えれば意味のあることと、意味のないこととを仕分ける作業である。日々『美術』に携わって生きている筆者は決してそんなことは思わないが、『美術』についても、文字通り生きることだけを考えれば必要なものではない、と言う人が少なからず居ることは否定できない。
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[2010 年 3 月 29 日 | No Comment | 2,206 views]
大山崎という選択《美しきカントリーライフ ~理想郷への回帰とたびだち~ レビュー》

『・・♪・・♪・尊厳と自由で矛盾してるよ~♪・・・』。
筆者の好きな歌にこんなフレーズがある。私達が生活している社会の中には、何をするにもルールというものがあり、ルールを馬鹿正直に守り続けているだけでは何一つ欲しいものを手にすることはできない。善く在りたい、善く生きたいという思いは常に頭の片隅にあって決して消えることはないが、そもそもルール自体が正しいのかすら分からない世界で私達は生きている。そんな私達に与えられた唯一の尊厳と唯一の自由は選択することである。半袖か長袖か、徒歩かタクシーか、国産か輸入か、自民か民主か、北海道か沖縄か、白か黒か、許すのか罰するのか、貫くのか変えるのか、続けるのか始めるのか、助けるのか見放すのか、逃げるのか戦うのか…。そんな無限にある選択肢の一つの形が『カントリーライフ』である。兎にも角にも、『美しきカントリーライフ展』(以下『カントリーライフ展』と記す)とアサヒビール大山崎山荘美術館について述べていくことにしよう。
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[2010 年 2 月 28 日 | No Comment | 3,458 views]
最初のマンガ展―武蔵の品格―《井上雄彦 最後のマンガ展 重版〈大阪版〉 レビュー》

今月初め、横綱の朝青龍が現役を引退した。
引退会見で彼自身が述べていた通り、朝青龍は横綱の『品格』というものと常に戦っていたように思う。
また最近ではスノーボードのオリンピック代表である国母選手の服装や発言が批判の的になっている。彼らの言動に見過ごせない部分が少なからずあることは確かであるが、彼らの競技に対する姿勢までも同じ観点で捉えてしまうのは、いささか酷である。誰よりも強くなるために積み重ねてきた努力は、本当の意味を理解しないまま『品格』という言葉を一人歩きさせている下品なマスコミに踏みにじられるようなものでは決してない。かつて中田英寿氏も「国のためではなく自分のために…。」と発言し批判されたことがあるが、将来を担う若い人達の育成や伝統文化の存続・再興等を様々な角度から後押ししようとしている現在の中田氏の言動を見れば当時の批判がいかに的外れなものであったか理解されるであろう。
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[2010 年 1 月 28 日 | No Comment | 3,130 views]
人間を描くということ《THE ハプスブルク展 レビュー》

あなたの家では年に何回ぐらい家族写真を撮っているだろうか。
筆者の家では、筆者が子供の頃は、家族の誕生日が訪れる度に、また年中行事の日が訪れる度に必ずといっていいほど家族写真を撮っていたように記憶している。子供の頃は何とも思わず、時には面倒だとさえ思ったが、今は家族写真の大事さが少し分かるような気がする。両親はどんな思いで子供達の誕生日を一緒に祝い、子供達が成長する姿を見守ってくれていたのであろうか。肝心の写真は箪笥の奥で記憶を留めているに過ぎないが、その取留めのない記憶こそが今の自分を支えてくれているような気がする。
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[2009 年 12 月 28 日 | 3 Comments | 5,274 views]

先日NHKの「WONDER × WONDER」という番組で贋作に関する問題を特集していた。
パネラーの山田五郎さんが「美術作品の値段が作品そのものの価値ということではないんです。」と言っていたのが印象的であった。少し次元の異なる話ではあるが展示作品の美術的価値と展覧会自体の良し悪しというのも決して比例するものではない。
国宝級の作品が多数出品されている展覧会であっても会場が混み合っていたら作品を鑑賞する心の余裕はなくなるし、専門用語を書き連ねた解説ばかりの展覧会では主催者側の意図や展示内容を十分に理解することはできない。そういった意味で伊丹市美術館の『幕末浮世絵アラカルト展』は好感の持てる展覧会である。
伊丹市美術館は自らの立ち居地や役割をしっかりと自覚しており、伊丹市美術館として来館者に伝えたいことをはっきりと示している。
伊丹市美術館のメッセージを読み取りながら『幕末浮世絵アラカルト展』の内容を見ていくことにしよう。
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[2009 年 11 月 27 日 | No Comment | 3,278 views]
終わりと始まりの世紀末《クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 レビュー》

たいていの物事には始まりと終わりがある。
どういう訳か人々の心にはその終わりの方だけが記憶されがちであるが、物事の始まりや何かを始めた時の気持ちというのもずっと大事にしていたいものである。40歳を越えたスポーツ選手の「もっと上手くなりたい。」という言葉、また美談や苦労話を引き出そうとするインタビューに対するスポーツ選手や役者、芸術家の「好きだから(続けられた)。」という言葉は本当に重たい。ひたむきに努力する彼らの言葉や姿勢に出会わなければ、日々失敗の多い筆者は今日まで頑張ってこれなかったかもしれない。
兎にも角にも偉大な仕事、後世に語り継がれる仕事というものには、初心を忘れない、努力を怠らない、おごらない姿勢に裏打ちされた「新しさ」、「巧みさ」、「美しさ」が常に内在している。『ウィーン世紀末展』の中心をなすグスタフ・クリムトやエゴン・シーレの作品も例外ではない。ここではグスタフ・クリムトの作品に焦点をあて、全五章で構成されている本展覧会のうち第一章と第二章を中心に見ていくことにしよう。

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