Articles in the 浅井佑太 Category
展覧会レビュー, 浅井佑太, 関西 »

演劇であろうと、彫刻であろうと、芸術作品を前にするとき、ほとんどの場合ぼくたちは暗黙のうちに傍観者であることを強いられている。例えば観客に対してハムレットが直接語りかけてくるようなことはないし、ミケランジェロのピエタにしてもマリアの憐憫に満ちた眼差しは我が子に捧げられたものであって、決して鑑賞者に向けて放射されることはない。芸術作品を目にするとき、ぼくたちはいわば、隠れた場所から他人の生活を覗き見ているようなところがあると言っても過言ではないだろう。
とはいえ、現実においてそのような一方的な関係はかなり特殊な部類に属する。普通ぼくたちは誰かを見るとき、同時に見られてもいる。そしてその関係は常に揺れ動き、両者はいとも簡単に入れ替わってしまうのだ。もし自分が一方的に見られる立場にあったとすれば、それは極めて不快なことだろう。「見られずに見ること」――、それは現代の社会では、盗撮や覗きといった、どこか犯罪めいた響きすら感じさせるものである。
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世紀末から20世紀初頭にかけてのウィーンは、かつて類を見ないほど都市文化が爛熟した時期だった。この時代の著名な芸術家や思想家の多くが、この都市と密接に関わっていたことには少し驚かされるものがある。少し例を挙げてみるならば、音楽ではシェーンベルクやマーラー、哲学ではヴィトゲンシュタイン、作家のシュテファン・ツヴァイク、精神分析の始祖であるフロイト――彼らの名前は誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。彼らはみな、ウィーンと深く関わりのある人々であると同時に、この時代を代表する人物だった。そして上に挙げた例がみなそうであるように、当時の文化を支えた多くの人々は、ユダヤ人だったのである。 (続きを読む…)
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少し奇妙な言い方になるが、普通「ゴッホ展」とった特定の作家の展覧会が開かれるとき、見るべき作品は、あらかじめ大体決められているものだ。例えば現在横浜美術館で開催されている「ドガ展」では、何よりもまず、あの《エトワール》と題された絵画に注目が行くだろう。そこではドガの初期の作品や、多数のスケッチが展示されているかもしれない。もちろんそれらに価値が無いというわけではないが、《エトワール》には見向きもせず、ドガの習作を前に長々と居座る人は多分いないだろう。ぼくたちは、暗黙のうちに「傑作」とそうではない作品とを区別し、それを「傑作」に至る過程として捉えている。そしてそれは、主催者の側にとっても変わりはない。紙面や吊り革を飾る展覧会の広告に、《エトワール》を差し置いて、彼のスケッチが登場することはまずないし、展覧会の構成を見てもそのような小品は、実際のところ添え物のような形で展示されていることがほとんどだろう。 (続きを読む…)
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18世紀後半の江戸時代、それはまさに民衆文化が爛熟した時代だった。徳川幕府の平穏な社会の中、美術生産の主体は公家や武家から都市の町人へと移り、やがて民間の絵画が美術を主導することになる。さらには西洋文物への規制が徐々に和らぎ、限定的ではあるもののヨーロッパ絵画の手法を取り入れることができたことも、新しい展開の支えとなった。この時代における、池大雅、与謝蕪村らによる南画、円山応挙による写生画、伊藤若冲、曽我蕭白といった「奇想派」の画家たちの活躍は、よく知られたところだろう。彼らの多くは農家や町人の出身であったし、また彼らを支持したのも幕府ではなく庶民の側だった。それは当時の都市社会が、自らの生活の場で美術を育て、それを受け入れる基盤を持つほどに成熟していた証でもある。そして画家たちは、それまで支配的だった狩野派のしきたりから離れ、思うままに自らの画風を開拓していったのである。
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モダンという言葉を定義するのは意外に難しい。直訳すれば「現代の」「近代の」という意味だが、それは絵画や建築といった芸術の分野だけではなく、例えば「modern weapon(近代兵器)」と言った具合に、様々な分野に適応することができるし、さらに言えば、モダンと言う言葉は、時代や文脈によってプリズムガラスのようにその意味合を変えてしまうからだ。モネの絵画がモダニズムとして解釈されたと思えば、クレーの抽象画がモダンアートとして扱われると言った矛盾をぼくたちは日常のうちで何度も経験しているだろう。ぼくの手元にある書籍では、紀元前の土器にすらその形容詞は使われている。さらには「ポスト・モダン(ポスト・現代)」と言う一見不可解な用語まで存在する始末だから性質が悪い。
それでは、ぼくたちは「モダン」という単語をどのように解釈すればよいのだろう?
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産業革命による社会構造の変化、科学技術の進歩による急速な近代化と大量虐殺兵器による新たな戦争。20世紀の到来はヨーロッパの国々にとって、まったく新しい時代の幕開けを意味していた。芸術の領域においてもそれは例外ではない。一言でいえばそれは、モダニズムに変わってアバンギャルドが台頭し始めた時代だった。第一次世界大戦の前年にはデュシャンが最初のレディメイドを制作し、ダダイズムが様々な芸術分野を席巻した。音楽ではシェーンベルクが調性の枠組みを放棄し、無調の世界へと乗り出した。もちろん芸術の世界において、新たな作品の登場が伝統の放棄を意味することは珍しいことではない。けれどもアバンギャルドがモダニズムと決定的に異なるのは、そこに積極的な伝統への反抗という精神が存在している点である(※1) 。
――爆風のような息を吐く蛇に似た太いパイプで飾られたボンネットのあるレーシングカー……散弾のうえを走っているように、うなりをあげる自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい。(『未来派創立宣言』高橋伸一訳)
20世紀芸術を特徴づける芸術運動のひとつである未来派の創始者、マリネッティの有名なその言葉は、それを端的に示している。そこでは近代科学の象徴である自動車が賞賛され、その対照としてサモトラケのニケが引き合いに出される。過去には彼らの追い求めるものは存在していない。そして伝統はもはや進むべき未来を暗示してくれるものではなく、反逆する対象として扱われる。その証拠にこの時代の芸術家たちは好んで(当時からすれば)反芸術的な素材を積極的に作品の中に取り込んでいくことになる。
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邦枝完二が小説『おせん』を朝日新聞に連載したのが昭和8年のこと。江戸時代中期に実在した女性で、美人と評判の高かったおせんを主人公としたこの小説は、小村雪岱の挿絵とともに紙面に掲載され、大変な評判を呼び起こした。一説によると掲載紙の部数を2万部も伸ばしたとされるこの作品の人気は、雪岱の挿絵によるところが大きかったという。そして実際に、雪岱はこの小説の挿絵において「雪岱調」と呼ばれる独自のスタイルを確立するとともに、一躍その名を高めたのだった。
「雪岱調」がどのようなものであるかを言葉にするのは難しい。印象派のような説明のしやすい特徴には欠けるし、独特の技法が使われているわけでもない。かといって「白と黒のコントラスト」だとか「シンプルで洗練されたデザイン」という言葉も、画面の表面を刷毛でなでたような実質のない表現に終わってしまう。
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